自宅にネット環境は必要か?子どもの教育を考えたらネット環境は絶対に欠かせないと思う

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子育て世代の家庭で、自宅にネット回線をひくべきか否かで迷っている人ってのもいるみたいですね。私はぜーったいに必要だと思っているんですけれど、でもネットにあまり触れることなく生きてきた親御さんなんかだと「ネット=余計な情報に触れる元凶」みたいな変な認識があったりもするようで。

なので、私が個人的に「どうしてネット環境は必須か」について持論を綴ってみたいと思います。

より良い人生を歩んでもらいたければ、ネット環境は必須

自宅にネット環境があるのと無いのとの違いというより、ネット環境というものそのものがいかに大切なものか。そのことを納得すればきっと、自宅にネット回線をひかないだなんて選択はあり得ないと思えてくるんじゃないかと思います。

そこで私なりに「なぜネット環境は大切か」を、さっと考えただけでもすぐ出てくる以下の2点に絞って書き綴ってみます。

1. 人生の選択肢の幅が大きく違ってくる

まず1つ目は「人生の選択肢の幅」。これがインターネットというものの登場によって大きく変化しました。そのことを考えただけでもネットの重要性が理解できる、べきではないかと私は思ってしまうんですが。

ネット上にはいろんな情報がありますよね。で、なかにはネットのその情報の海に流されて、ほとんど溺れかけているんじゃないかという感じの人も確かに世の中にはいます。変な犯罪予告の話題なんかがテレビで流れてたりすれば、そういうのを聞くだけでもネットというものに何か変な印象を持ってしまう人がいるものと思います。

でも、もっとずっと大きな視点で物事を見てみると、世の中を見回してみると、どうでしょう。インターネットという情報の大海原に接続されていない人間ってのは、まるで孤島のようです。自分が直接会って話したりできる人、それからテレビや新聞や雑誌などといった古くから存在している大きなメディア、そういったものの発信してくれている情報にしか触れることができないんです。

たとえば仮に子どもが、「大学はハーバード大学にでも行ってみたいな」なんてことをチラッと考えたとします。が、そもそもその「ハーバード大」というキーワードが頭の中に出てきたのは、自分の周囲の、狭い範囲で生きてきた大人たちが持っている「ハーバード大が世界一」みたいな古くて間違った認識の影響があったりするのかもしれません。

でも自宅にネット環境があれば、どうか。ハーバードが気になったその子は、すぐにハーバード大学に関連したいろんな情報に出会うことになるでしょう。そしてもしかしたら「やっぱり俺はオックスフォードにしよう」とか思うかもしれないし、そういう直接的な変化とは違ったもっと複雑な価値観の変化を経験することになるかもわかりません。

ところがこれが、インターネットという情報の大海原に接続できない人間だと、どうなるか。とりあえずその先数年は「ハーバード大がいいな」なんてことを思いながら生きていくことになるんでしょう。そして高校2年とかそのぐらいになって、学校の先生やなんかから情報を集めるようになって、得られた情報の『確からしさ』を自分なりに検証することもできないまま、周りの大人の言うことを真に受けて人生の進む道を選択していくことになるわけです。

くだらなく見える「誰かの日記ブログ」も、世の中の役に立っていたりする

インターネット環境を手に入れるというのは、喩えるなら「電車に乗る」「自動車を手に入れる」のと似たようなものです。単なる遊び道具やいい暇つぶし道具なのではなく、『一つの移動手段を手に入れる』ことに等しいことです。まあこれは持論と言えば持論ですが、でも論理的に考えて確かにそうだと言えるものだと思います。

知の移動、という風に表現することができます。インターネットに触れるというのは。車が無ければ地方都市ではとても不便しますよね。電車やバスにも乗れなかったら、それこそ「生まれてから死ぬまでこの村から出たことがない」みたいなことにだってなりかねないですよね。いや実際にそういう時代に生きた人にはそういう人が多かったわけだし。

ネット環境がないってのは、それと似たようなことなわけですよ。身近なリアルで会える人から得られる情報しか得られない。ちょっと離れたところにある情報には、まったく触れることができない。自分がその情報源に近づくような何か大きな動きをしない限り、自分の身の回りから漏れ伝わってくる程度の情報や知識しか得ることができない。

これはもう「人生の選択の幅が大きく狭まる」と言っても過言ではないでしょう。

2. これからの時代の働き方への適応能力に差が出る

そして2つ目は、仕事に関して。この物質的に豊かな時代、あらゆるビジネスがこれまでの時代のような「必要なものを必要としている人のもとへ届ける」ようなビジネスではなく、「人を楽しませる」ようなビジネスに変化していきます。これは何か例を挙げるまでもなく、少し身の回りを素直な目で見回してみれば明らかに分かるでしょう。

単なるゴミ箱だって、どんどんおしゃれになっている。テレビだって薄くて大画面でキレイで外観もかっこいい。昔は芸能人を「何も芸がないくせに芸能人気取りやがって」と批判するような人もいたもんですが、今じゃ「可愛くなくてもアイドル」が成り立っちゃう時代です。芸能人に何か芸を求めるなんてそんなの求める方が間違っているような時代です。

つまり、機能が求められているんじゃないんだ、と。極端な言い方をしてしまえば「楽しければいい」「愉快に生きられればいい」という、そういう時代なんだと。だって機能とか物質面ではもう十分満たされちゃってるんだから。次は精神的に満足したいんだよ、と。

で、そういう時代において、インターネットのような「無きゃ無いで生きていられるけど、あると楽しいよね」みたいなものって、すごく重要度が高いわけです。個人的な持論ですけど。そしてそういうものに触れながら生きてきたかどうかってのは、いざこの新しい時代に「多くの人を楽しませよう」となった時に、そのセンスの違いとして現れる、と。

「みんなを楽しませたい」となった時に「じゃあ遊園地みたいなものを」なんてことしか考えられないのは歳がオジサンだからなのではなくて、それ以外の楽しみ方をあまり知らずに生きてきたからなわけで。既にオジサンならそれでも許されるかもしれないけど、これからの時代を生きていく若者がそんな感覚でいたらヤバいよ、と。そんな風に私は思うんですよね。

地方に住んでいる人ほど、ネットは必須。絶対に欠かせない

私は地方都市の生まれで今も地方都市に住んでいるので、周りにはインターネットと縁が遠いような人もチラホラいます。ので、この「ネット環境は必要かどうか」ということに関しては、ほんと実感を持って「絶対必要!」と心から思います。全然違うんですよ、世間の広さが。

そりゃそうですよね。こっちは自動車で自由にあっちこっち走り回っているってのに、一部の人たちは自動車どころか電車やバスにもほとんど乗ったことないような状態で、いつも徒歩で村の中をウロウロしているだけなんですから。

日常的にネットに触れていれば、たとえば一例としては「いかにNHKにヤラセが多いか」とか「専門家だの本の著者だのとはいっても所詮どっかの人」みたいなことは普通に感じられるようになってくるものだと思います。

でも徒歩だけの人は違います。「テレビでこう言ってた」なんてのはいまだに決めゼリフとして有効だし、本の著者なんてのはそれこそ雲の上の人かのようなイメージをいまだに抱いていたりするものです。

「スマホよりガラケーの方が機能が良かった」とか。アホか、と。機能の問題じゃねーんだよ。ガラケーじゃ普通にブラウジングできないでしょ?それが決定的なんだよ、と。普通にインターネットにつながることができるかどうか。それが生活を劇的に変化させる“可能性”を持っているんだよ、と。

まとめ

子育て世代の家庭ならできる限り出費を減らしたいという気持ちはよく分かりますが、個人的にはたとえば塾に通わせるぐらいならその費用を回線費用に回した方がいい。そのぐらいに思います。もちろん塾には塾の、なんてゆーか、同年代の友だちとの触れ合いみたいな、そういう良さもあるのは分かるんですけどね。少なくとも「学力向上のために」塾へ通わせるぐらいなら、間違いなくそれは回線費用に回した方が有益だと言えるでしょう。まあこういう話はまた人それぞれの価値観の違いで出す答えが全然違ってきちゃうので意見の分かれるところではありますが。

なにはともあれ、なるべく親御さんは家庭にネット環境を用意してあげてほしいものです。子どもの人生の選択の幅と、将来の仕事におけるセンスや仕事の選択肢の幅に、少なからぬ影響を及ぼすものだと言えますから。うまいこと、言われたことやってればがっつり給料もらえるような大きな企業に勤められればいいですけど、そうではない、日本人のほとんどが勤めることになる中小企業に勤めるとなれば、本人の視野の広さや力量ってのは人生を大きく左右しますからね。

そんな風に私は思います。

ではでは



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