日本一の大富豪家「淀屋」がわずか5代で潰れた(闕所された)理由

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NHKの『知恵泉』という番組で大坂の淀屋常安が取り上げられるそうなので、その繁栄についての詳細は番組に任せ、あれだけの栄華を誇った淀屋がなぜわずか5代で闕所(けっしょ:幕府により資財没収、家屋敷も召し上げ)され凋落してしまったのか?その辺について記事にしてみます。

闕所の直接的な理由は「女」か「大名たちの結託」の説が有力

淀屋がお取り潰しになった理由については諸説あります。その中で現実的でリアルな説は主に2つ。

一つが「莫大な借金を返済できなくなった諸大名たちが結託して、取るに足らぬ罪をでっち上げ、幕府に働きかけて淀屋を潰すことで借金の棒引きを図った」というもの。

当時は淀屋に借金をしていない者はいないんじゃないかというぐらいにハンパない繁栄をしていたそうですから、これはこれで一つの有力な説として現実味があります。

しかしもう一つの説の方がもっとリアルです。
それは「遊女の吾妻(あづま)に夢中になり、見受けするための金の用立てで犯罪を犯し、お取り潰しになった」というもの。

吾妻に惚れ込んで駆け落ちした淀屋5代目

当時まだ19歳の淀屋5代目・広当は、遊所通いの中で新町の吾妻に夢中になり、千両で見受けするから金策せよと手代に命じました。

千両なんて金額は淀屋当主にとっては小銭のような額です。しかしそんなことよりそもそも、遊女を妻に迎えるなんてことは親類が決して認めてくれません。親類は金蔵を封鎖までしてしまいました。そのため家の財産から金を用立てることはできません。

しかし吾妻にのぼせ上がっている広当は我慢できません。そこで手代に金策せよと命じました。すると手代は、すぐに返せるだろうと思い知人の薬種商の名を無断で使い、要するに証文を偽造して、両替商から2千両を借金したのです。

手代は打ち首獄門、広当は所払い、淀屋は闕所

「お前さん、金持ちやのになんでわしに借金するんや?」
借金をしてからすぐ後、広当と手代にとっては運悪いことに、両替商と、名前を勝手に使われた薬種商が偶然、ある会合で顔を合わせる機会がありました。そこで両替商は薬種商に「なんで俺から借金なんかするの?」と聞き、そのことで広当の手代の犯罪が発覚してしまいました。

当時、印判の偽造は殺人以上の重罪。手代は打ち首獄門の刑に処され、広当は所払い、そしてその家である淀屋は闕所という、全財産を没収されてお家取り潰しという制裁を加えられてしまうことになってしまいました。

妻、娘との侘しい暮らし

宝永2年、幕府から財産をすべて没収され追放された5代目主人広当は、妻の吾妻と一人娘の五百(いお)をつれて八幡(現・京都府八幡市)に移り、名を変え、むかし淀屋に恩義のあった人からわずかな田畑をもらい、侘しい暮らしをしていたといいます。

それでもさすがに生活を成り立たせるのは難しく、一度は江戸に下って、むかし淀屋から巨額の賄賂を受けていた幕府高官に会い、資産の一部返却を願い出たりもしていたそうです。ところがもちろん蹴飛ばされて追い返されてしまいました。

妻の吾妻も、淀屋の証文の山を抱えて大坂に行き、黒田藩や細川藩ら有名な大名たちの蔵屋敷の前に座り込んで「とても暮らせませぬ、わずかでも返済してくださいませ」と泣きついたといいます。

二人の最期

享保2年、広当は31歳で病死しました。
ほどなく妻の吾妻も精神を病み、いわゆるウツ状態で、家に閉じこもったまま死亡しました。

おわり

書いていて気持ちが暗くなってきてしまったのでこの辺で終了。
最期割愛しましたが、一人娘の五百(いお)もまた悲しい運命にあっています。その辺について知りたければこちらのページの最後の項目に書かれていますので読んでみてください。

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